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「広場」


JR有楽町駅には三つの改札口があります。
銀座口と中央口と都庁口です。
数寄屋橋のマリオンや銀座四丁目方面に行くには、銀座口で出ます。
銀座口は、有楽町駅で最も混みあう改札口です。

先日更新した「消費」で話題にした「有楽町イトシア」も、銀座口の正面にあります。
月曜の夜、画廊での撮影が終わった後、夕食で「有楽町イトシア」に向かいました。
といっても、「有楽町イトシア」で食事をするわけではありません。
その先で夕食をしたいので、「有楽町イトシア」の完成で変貌した、銀座口の様子も見たいと思ったからです。



アッと驚く変貌ぶりに、正直ビックリしました。
見慣れた銀座口の風景が、まったく変わってしまったのです。
上の画像は当夜のものではなく、後日の夕刻に撮影したものですが、正面に建っているのが「有楽町イトシア」です。
「OIOI」のロゴが建物に見えますね。

撮影に使用したレンズは広角系のズームです。
それの広角側を使っています。
つまり、実際よりも広々とした感じで写っています。
これは故意の選択で、最初に見た驚きを伝えるためです。
あの夜、突然出現した広々とした空間は、こんな風に見えたと思います。

変貌の驚きは、変貌前を知っていないと伝わりにくいと思います。
以前の銀座口は、さほど特徴のある空間ではありませんでした。
戦後の雰囲気が残っているといえば、そうもいえますが、名残程度です。
さして古くもないし、新しくもない、中途半端な街並みでした。
(裏通りを細く見ていくと、古めかしいビルもありましたが。)
JR有楽町からマリオンまでの参道、といった存在でした。



少し分かり難いと思いますが、画像の中央に白い看板「フルーツ 百果園」があります。
そこと高架線路の間の一画は以前のまま残っています。
今でも、低層の建物が並んでいますね。
百果園の右の暗い部分がガードで、更にその右に銀座口の改札があります。
変貌前は、百花園から手前に向かって街並があって、今広場になっている部分の半分以上は建物でした。
その幾つかの飲食店やパチンコ店は、写っている、マルイの隣りのビルに入居しています。

銀座口からマリオンへの道はよく通りましたが、ガード方向へはクルマでも走りました。
画廊からの帰り、クルマの場合は、外堀通りからこのガードへ抜ける道が定番でした。
半年ほど前から工事で通行止めになり、完成後はクルマが通れなくなりました。
百果園前の赤信号で停車し、マリオン側から銀座口に渡る歩行者を眺めていたのも、今は昔の話となりました。

驚きはもう一つあって、画像右側の円い屋根は地下への入口でした。
地下も広場になっていて、「有楽町イトシア」に繋がっています。
詳しいことは分かりませんが、いずれはこの地下は地下鉄銀座駅と繋がることでしょう。



今度は「有楽町イトシア」側から見た広場です。
広角で撮っていますから、実際はこんなに広くありませんが、引っ切りなしに人が流れています。
「有楽町イトシア」奥右の四角いビルは交通会館で、その向こうにそびえる高層の二つのビルは、八重洲の
グラントウキョウのノースとサウス。
左の手前はビックカメラで、その向こうが東京国際フォーラムです。
開店景気もありますが、この周辺の人の流れが変わったようです。

ここまでこの空間を、単に広場と書いてきましたが、正しくは駅前広場、通路にあたるものです。
広場の起源はヨーロッパで、古くから市民的性格が強い空間です。
日本の場合はそのような性格がありませんが、特に卑下することも、羨むこともありません。
日本には広場に代わる空間(例えば下町の路地とか)があるからです。
上等という点では、日本の方が上かもしれません。

クルマが駆逐され、歩行者が自由に歩ける空間が増えたことは、喜ばしいことです。
駅前に、広々とした空を見上げる空間があるのは、気持ちの良いことです。
正直、そう思いました。
しかし、このノッペリとした、あまりにも都市計画的(再開発的)発想の広場には、何だか馴染みません。
そう、六本木のあの界隈に似ているのです。
バブル期以上の変貌が、東京の街のここそこで起きているようです。

街とは、小さな単位の集団や人の生活が混じり合って自然に出来ていくものです。
そこには暗い場所もありますが、それも街の重要な部分です。
整然とした街並みであっても、一歩中に入れば、そのようなものです。
クリーンなビルのオフィスの一室で設計された街は、合理で機能的ですが、頭で作られたものです。
決定的な何かが、欠けています。
しかも始末の悪いことには、地権者の管理が徹底していることです。
街の自然な変化や成り行きを認めないことです。

この広々とした空間で、そんなことを感じました。