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「探偵物語53」


前回の続き

湖の水平線に見えたのは、ダムの堤防でした。
堤防は橋のように一直線で、見学路にもなっています。
上の小さな画像は、堤防から見た湖です。

しかし、教科書に載っていたコンクリートのダム施設は見当たりません。
不思議に思って、見学路の入口にあった案内板を見ると、このダムの発電所は地下にあるそうです。
ここから離れた隣市にもう一つの湖(貯水池)があって、その二つは地下のパイプの結ばれています。
そして、二つの湖の中間辺りの地下に発電所があります。
二つの湖の高低差を利用して、発電する仕組みです。

水力発電の仕組みとは、水が高いところから低いところに流れる時に生じる力の利用です。
その力で水車(タービン)を回して、発電します。
この発電所では、昼間の電力需要ピーク時には、上の湖から下の湖に水を流して発電し、夜間は逆に下から上に水を汲み上げています。
わたしが今いるのは、上部のダムです。
その様なシステムの発電所としては、世界有数のダムだそうです。

しかし、地下に発電所があるとは。
ダイナマイトシティのエネルギー(血液)は、この山奥の地下深いところから発せられていたのです。
以前、山は御神体として、無闇に入る場所ではありませんでした。
それなりの用意(清め)をしてから、入山しました。
山には、人間に推し量れない霊力、パワーがあると信じられていたからです。

事情は、現代でも同じということになります。
この山の湖の地下に、パワーの源があるのです。
推し量れないような、巨大なパワーがあるのです。

堤防からの眺めに厭きると、わたしは堤防の下に降りてみることにしました。
クルマで迂回すれば、堤防の真下に行けます。



それは、(大袈裟にいえば)目も眩むような光景でした。
石で積まれた堤防が、視界のほとんどを覆い尽くしています。
奇観が、目の前に現われたのです。
(この堤防の向こうが、先ほどの湖です。)

社会科の授業の次は物理の授業で、今度は美術の授業です。
現代美術にクリストという作家がいます。
彼の作品に、コロラドの渓谷にオレンジの布のカーテンを吊るした「ヴァレー・カーテン」があります。
(実際に見たのではないが)それに匹敵するか、それ以上のインパクトがある堤防の眺めです。



近づいて見ると、堤防の石はこのように積まれています。
所々にブッシュが生えているのも、良い感じです。
さぞかし、大規模な工事だったと想像します。

堤防の脇には、
洪水吐(こうずいばき)と呼ばれる巨大なコンクリートの水路があります。
貯水池の水が多くなった時、安全の為に放流する設備です。
洪水吐は堤防の上から下の川まで続いています。
遠目で見ると、万里の長城のようです。



コンクリートの量感に圧倒される光景です。
これも、現代美術的な眺めですね。
(同じくクリストのプロジェクト、ランニングフェンスを彷彿させます。)

山の頂の湖は、一見ダムの貯水池には見えません。
ほとんど自然の湖と変わりません。
しかし、その裏側と地下は大改造されています。
膨大な労力と資力によって、ダムは完成し、運営されています。

街のパワーと生活の利便は、これらのダムによって成り立っています。
それが良いことなのか、どうなのか。
人間にとって、自然とはどのような存在なのか。
答えが見出せないまま、わたしは山道を下りました。



往路は心が急いていましたが、帰りはゆっくりとクルマを進めました。
山道の左側は崖で、その下には川が流れています。
あのダムから流れ出している川です。
道幅の広いところでクルマを停め、一休みする為、わたしは崖の下に降りてみました。
雑草を掻き分けて下りると、大きな音が聞えます。



滝、ですね。
人工の滝です。
正方形に近い、幾何学的な形をした、美しい滝です。

これも自然かといえば、自然かもしれません。
今の日本、手付かずの自然など存在しません。
どのような形であれ、人間の手が入っています。
それに気が付くかどうかの、違いだけです。

恐らく、自然という言葉(natureの翻訳)生まれた時に、今自然と呼ばれているモノは徐々に姿を消したのではないでしょうか。
それは、自然ではなく、名付けようのない何かです。
そして、それが人々と社会のパワー/血液だったような気がします。
あの地下の発電所と同じように、姿を見せずに、パワー/血液を送っていたと思います。


これで、社会科の授業は終りです。
次は、何の授業でしょうか。