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「探偵物語49」

空は、青い。
でも、青い空には種類がある。
心が緩む青、心が弾む青、心が遠くに遊ぶ青、心が澄み切る青。

今年
九月に入っても暑さは衰えませんでした。
それでも、空の青さは変化しています。
ふと見上げたとき、空は秋の気配でした。
心が遠くに遊ぶような、青でした。



九月の中旬、天気予報は雨後曇り。
午前中シトシト降っていた雨も昼前には止み、雲間には青空が見えます。
気温も平年並の予報です。
暑い夏は休んでいた、待望の街の探索です。
出先で仕事を済ませると、クルマを駐車したまま、わたしは出掛けました。
事務所まで戻るのが、待ちきれなかったのです。
しばらく歩いていると、曇り空は晴天に変わり、雲は秋の雲でした。

さて、どこに行ったら良いのでしょうか。
思案の末、K市の中心部に向かうことにしました。
仕事ではありませんから、行き先変更は自由です。
そのときの気分で、道を選ぶことにしました。



K市の周辺部には葡萄畑がまだ残っています。
(右下の棚が葡萄畑ですね。)
そんな一画の住宅です。

家とは何でしょう?
唐突な疑問がわたしの頭に浮かびました。
この家を見ていたら、そういう疑問が湧いたのです。
久しぶりの探索で、どこか頭がハイになっていたのかもしれません。
そうでなければ、こんな問いが出るわけありません。

家とは、楽しい所である。
この家は、そう語っています。
クリーム色の外観と揃った樹木、凝った門が、わたしに微笑みかけています。
ディズニーランドの楽しさが、この家に投影されています。

陽射しが家に降り注ぎ、多く採られた窓は明るさに満ちています。
家は明るくなければいけない。
明るくなければ、楽しくない。
家とは、楽しいところである。
だから、ピンクの門も、楽しい意匠で歓迎(Welcom)してくれるのです。



緑に囲まれた家です。
しかし、この家には誰も住んでいません。
そう、空家なのです。

この家は、薄暗い。
薄暗いけど、わたしは好きです。
この家には、偏屈なお父さんがいたかもしれません。
お父さんは威張っていて、お母さんや子供は小さくなっていたかも知れません。
子供は、この小さな家をいつか出たいと思っていたかもしれないし、とても愛着があったのかもしれません。

この家は、楽しかったか。
一年の内の何日は、楽しかったと思います。
でも、それ以外の日は、楽しくも悲しくもなかったと思います。
淡々とした、生活があったと思います。
その名残がこの家にはあって、わたしは好きです。

空の青さと、朱い瓦が似合っています。
秋は、確実に訪れているのです。



金持ちには、大金持ちと小金持ちがあります。
大金持ちは、広大な庭と和風の平屋に住みます。
二階建てなどは、貧乏人の住まいと卑下します。

小金持ちは、鉄筋で屋根がフラットな二階建てに住みます。
建物の外観は白で、手ごろな広さの庭が付いています。
大金持ちは地主で、小金持ちは新興階級です。
新に事業を興して、成功した人々が新興階級です。

わたしは、時代が徐々に貧乏を脱する頃に育ちました。
金持ちとは縁遠いが、もう貧乏ではないという時代に育ちました。
ですから、大金持ちは想像の範疇を超えていました。
わたしが成りたいと思った金持ちは、小金持ちでした。

小金持ちの家の二階のバルコニー(ベランダ)。
そこに、わたしの幸せがありました。
バルコニーから手を伸ばせば、幸せが掴めそうな気がしました。
そこからの眺めは、何処までも続く青い空に違いありません。
そこに、わたしの幸せがあると思いました。



商店です。
看板を外された商店です。
この店は何を商っていたのでしょうか。
肉屋さんだったのか、八百屋さんだったのか、それとも魚屋さんだったのか。

角店(かどみせ)は繁盛する、といわれました。
静まり返った平日の、静まり返った町はずれの、角店。
ここに賑わいはありませんが、なぜか、わたしは惹かれます。



秋の空は、心が遠くに遊ぶ青です。
その青には、過去と未来が交差しています。
わたしの、過去と未来が交差しています。