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「世界の中心」


世界の中心は、どこでしょうか。
太平洋の真ん中か、それとも南極点や北極点なのでしょうか。



東京の京橋を散歩していたら、道路の端にプレゼン用のマネキンが立っていました。
上半身だけのマネキンで、肩から何か下げています。
この下げていたものが商品なのですが、何だったのか忘れました。
(というより、最初から見ていませんでした。)

マネキンに目を留めたのは、このマネキンに何ともいえない存在感があったからです。
どうです、良い表情をしていると思いませんか。
その表情は、自身の存在に懐疑的でありながら、それを隠そうとはしていません。
人通りの多い道路で、彼は自分自身の疑問を、あたかも通行人に問いかけているようです。
その静かな迫力は、彼こそが世界の中心であることを示しているのかもしれません。



一方、初台のオペラシティのロビーでは、ヌードなマネキン(彫刻)が人々に疑問を投げ掛けています。
彼は、世界の中心を見失った人かもしれません。
それで、遥々イタリアから遠く離れた日本にやってきたのでしょう。
彼の勘は、間違っていませんでした。
彼の、足下に、世界の中心があったからです。
彼がいるのはオペラシティの二階。
世界の中心は、その三階下の地下二階にあったのです。



ここが、(わたしが断定した)世界の中心です。
噂を聞いて駆けつけた自転車が、世界の中心を囲むように集まっています。
自転車は、そこが聖なる場所であることを承知していて、黒い装いで駆けつけました。
今ごろ自転車の主人は、突然いなくなった自転車に驚いていることでしょう。
しかし、この只ならぬ空間の在り方は、ここが世界の中心であることを暗黙のうちに証明しています。



一方、こちらは京橋のマネキンからほど近い、とあるバーです。
わたしの発見を嘲笑うかのように、男女が酒を酌み交わしています。
「世界の中心は、私と貴方の間にあるのようねぇ」、と女はいい、男は「その通り」と頷いています。

女のその自信たっぷりな物言いに、わたしは少しカチンときましたが、もっとものような気もしました。
ひょっとしたら、世界の中心は、偏在しているのかもしれません。
あの初台の地下駐車場も世界の中心で、この男女の間にあるのも、世界の中心。
そして、路上のマネキン君も世界の中心。



「私だって、世界の中心です」。
振り返ってみると、貸衣装屋のウィンドウのマネキンが、そういっていました。
凛とした表情に微かな笑みを浮かべ、柔らかな口調で、そういっていました。
(世界の中心は、花嫁が纏った白い布なのでしょうか。)

世界の中心は、世界が一つなら、一つです。
世界がそこら中にあるのなら、そこら中に中心はあります。
ただ、それだけのことかもしれません。

(数枚の写真を選んで、思いついたことを即興で書いた戯れ言です。深く考えず、サッと読み倒して下さいね。)