iGallery DC



サイトウ良雄
SAITO Yoshio

サイトウ良雄展の展示風景です。



各壁面ごとの展示をご覧下さい。



画廊入口から見て、左壁面の左です。



左壁面の右です。



正面の壁面です。



右側の壁面です。

以上の17点でサイトウ良雄展は構成されています。
作品はすべて写真です。
作品を1点ずつご覧下さい。



左壁面、左端と左から2番目の作品です。
左はタイトル「何故マリアは復活したイエスを墓守と間違えたのか」でサイズ210×138mmです。
右は「何故マリアは復活したイエスを墓守と間違えたのか」で220×170mmです。



左壁面、左から3番目と4番目の作品です。
左は「何故マリアは復活したイエスを墓守と間違えたのか」で190×170mmです。
右は「何故マリアは復活したイエスを墓守と間違えたのか」で237×293mmです。



左壁面、右端の作品です。
「何故マリアは復活したイエスを墓守と間違えたのか」で255×170mmです。



正面壁面、左端と左から2番目の作品です。
左は「夢の臍」で208×137mmです。
右は「夢の臍」で243×290mmです。


正面壁面、左から3番目と右端の作品です。
左は「夢の臍」で187×140mmです。
右は「夢の臍」で140×140mmです。



正面壁面、エアコン下です。
「夢の臍」で296×197mmです。



右壁面、左端と左から2番目の作品です。
右は「梯子を降りて」で180×140mmです。
左は「梯子を降りて」で208×137mmです。



右壁面、左から3番目と4番目の作品です。
左は「梯子を降りて」で255×170mmです。
右は「梯子を降りて」で255×170mmです。



右壁面、左から5番目と6番目です。
左は「梯子を降りて」で255×170mmです。
右は「梯子を降りて」で210×138mmです。



右壁面、右端の作品です。
「梯子を降りて」で140×140mmです。

<作家コメント>

何か特別のものを撮る、というのではありません。
まず外へ出て、目の前の道、街角、建物やその壁、窓、植物、畑や作物、落ちているもの、汚れているもの、欠片、表面(ザラザラ、つるつる)、光、影、陰り、照り返し、光の吸収、自然なもの、人工的なもの、人工性に人工性が掛け合わされた自然的なもの、手が届きそうな"そこ"、曲がり角とその見えない向こう側、そこから去っていったもの、持ち去られたもの、断たれたもの、そこに無いもの、無いことによって生じるわずかな逸脱、など 々。

「夢の臍」

夢の分析をもうそれ以上つづけられない地点。
抑圧や抵抗、能力の欠如がその理由ではなく。
分析を中止するべき地点。

臍はかつて母とつながっていた証拠であるけれど、
今現在における断絶という存在でもある。

一人の女のおなかの中で育まれている生命は人称を持たない。
つまり今現在の"私"とは違う存在である。
「かつてつながっていた」という小舟に乗せられるものを思いつかない。

「何故マリアは復活したイエスを墓守と間違えたのか」

イエスの墓の中が空(カラ)であったから。

“有る”という前提が覆されてしまった。
たとえマリアがイエスの復活を信じていたとしても、
墓の中にイエスの遺体があるという前提も消し難く共存していたのではないか。

"そこに無い"という事態は何かを駆動し始める。
ある時は完全に間違えた道を・・・・。
その逸脱への戸口に立ってみる。

「梯子を降りて」

梯子を降りて地面に足をつける (昨日は突端で寒さに震えていた)。

決して、砂粒をばら撒いたような一般性が目的にはならない。
ただ私の足裏からその重さが地に伝わる、
その控え目な広がり、それを感受すること。

美術は基本的に視覚を用いた表現です。
視覚とは外界からの光を刺激として生じる感覚です。
まず光があって、それからわたしたちは目でわたしたち自身や身の回りを認識します。
そして光は常に変化しています。
時間の経過とともに刻々と光は変わっていきます。

風景は、ある意味では光の変化の様相です。
一時として同じ風景はありません。
なぜなら、光は絶えず変化していて、それの反映である風景も変わり続けるからです。
昨日の朝の通勤路と今日の朝の通勤路は同じように見えて、まったく違う風景なのです。

カメラで風景を撮る行為は、光の変化の一瞬を記録することです。
変わり続ける風景の、ある瞬間を記録することです。
それにどんな意味があるのか。
恐らくは、撮影者は無意識に世界の生を記録しているのではないかと思われます。
生きていることの意味を、光の変化に託して、印画紙(プリント用紙)に記録していると。

表現として風景を撮影している者は、意識的に世界の生を記録しています。
当然サイトウさんも意識的であり、変わり続ける風景の中に意味を付与する者です。
それは極東のある時代に生きた一人の男の見た風景ですが、それは個別であって、そうでないことを希求しています。
今の言葉で言えば、つまりは共有ですね。
ただしSNSではない。
もっとプライベートであり、そこに繋がろうとする意識は微塵もない。
ただただ世界の生に忠実であろうとし、そのことを記録しようとする意思だけです。

繰り返しますが、光は常に変化しています。
同じ風景というものはありません。
ここに差し出されたのは、無限ともいえる風景の中の一景です。
ある男が見た、生の記録です。

ご高覧よろしくお願いします。

プライスリスト1
プライスリスト2

作品の価格は2017年5月まで有効です。
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iGallery DC  サイトウ良雄展
会期:2016年6月26日(日)〜7月24日(日) 
開廊日:木・金・土・日
時間:12:00〜19:00


会場アクセスと展覧会スケジュール