藍 画 廊

小林聡子展
ミラー
KOBAYASHI Satoko


藍画廊は2024年から新しい展示スペースに移りました。
このスペースはGallery Camelliaと共有になっていて、本展はGallery Camelliaと共催の展示となります。
展示スペースは二つの部屋に分かれていて、入口側の大きな方が展示室A、奥の小さな方が展示室Bになっています。

各スペースの展示をご覧下さい。



入口側から見た展示室Aの展示です。



窓側から見た展示室Aの展示です。



展示室Bの展示です。



奥から見た展示室Bの展示です。

以上の7点で小林聡子展は構成されています。
作品の詳細をご覧下さい。

 
 


展示室A、入口から見て左壁面の左と右の作品です。
左はタイトル「Mirror (cyan) 」(紙に水彩)でサイズ34.8×42.4cm、
右は「Mirror (square)」(紙に水彩)で19.0×19.0cmです。


展示室A、右壁面の左と右です。
左は「Mirror (cobalt)」(紙に水彩)で34.8×42.4cm、
右は「Mirror (small)」(紙に水彩)で15.0×15.0cmです。


展示室B、入口から見て左壁面、右壁面の作品です。
左は「Mirror (mineral)」(紙に水彩)で31.0×38.1cm、
右は「Mirror (aqua) 」(紙に水彩)で53.4×72.0cmです。



展示室B、入口手前の作品です。
「Blue」(陶)で11.3×11.7×3.1cmです。

 

<作家コメント>

古びた鏡を見つけると想像する。
その鏡が映してきた景色や時間、そして見知らぬ誰かの存在。
あるいは、形のない、言葉では言い表しようのない気配について。


紙に水彩で描かれた透き通るようなドローイング。
紙の端から鉛筆で左右交互に斜めの細い線を引いていくと、交差するところに無数の菱形ができます。
いわゆる斜めチェックの格子柄です。
その格子の中を細い筆で水彩絵具を塗っていきます。
鉛筆の線からはみ出ないように、筆で慎重に慎重に塗っていきます。
菱形は異常に小さいので塗り終わるまでに何日、何十日もかかります。
水彩なので色に濃淡ができ、濃い菱形と薄い菱形が斑(まだら)にできます。
また、水彩は広がるので格子の縁が濃くなる傾向があります。
作品によって絵具の色も変えているので、同じ青でも印象はかなり異なります。
色を塗る回数を変えて制作した作品も並べていて、その仕上がりの違いに驚きます。

この精緻な作品の成り立ちと制作過程は、ある意味狂気の沙汰です。
しかしこの作品には狂気が持つ凄みと同時に、その一歩手前の覚醒した正気も存在しています。
そして、その覚醒が喩えようのない解放感と自由を視覚にもたらします。
瞳が、胸が、見ている内にユックリと膨らんでくるのが分かります。

なぜ作品がわたしにこのような作用を与えるのか、考えてみました。
ドローイングの設計図はしごく簡単です。
ミリ単位かミリ以下の間隔で、斜めに左右から鉛筆で線を引いていく。
でもこの時の線は線を引く者の気持ち次第で、微妙に異なります。
たかが線ですが、集中力の程度や気分で違ってくるのです。
そして、菱形を注意深く同じ濃さの水彩の青で塗っていきます。
これもわたしが塗った場合と小林聡子さんが塗ったのではまったく違った絵になります。

設計図は頭で引きますが、描画は手の動きです。
問題は手です。
小林聡子さんの手は筆で色を塗っていますが、その内実は手が独自に思考して塗っています。
手は考えながら、頭に頼らず色を塗っているのです。
何をどう考えているかは、手にしか分かりません。
しかしその結果(ドローイング)を見ていると、唐突にピュアという言葉が頭に浮かびました。
手の動きには頭と異なる合理があって、その合理の新鮮な有り様に、ピュア(純粋)な何かを見たのかもしれません。
静かに描き込まれた菱形の列が生み出すピュアなもの。
それが何なのかは、分かりません。
狂気と覚醒の間に潜む、ある合理の働き。
それはAIには及びもつかないような、人間の身体が有する感覚の輝きではないかと想像します。

ご高覧よろしくお願い致します。

(本ページの画像はすべて長塚秀人さんの撮影、提供によります。)

作品リスト

2001年藍画廊個展
2009年藍画廊個展

2017年iGallery DC個展
2021年藍画廊個展

 

会期

2024年1月15
日(月)ー1月28日(日)
会期中無休
12:00ー19:00(最終日17時終了)

会場案内