藍 画 廊

瀬古徹
- 祠は何処へ行った -
SEKO Toru


瀬古徹展の展示風景です。



各壁面の展示をご覧下さい。



画廊入口から見て、左側の壁面です。



正面の壁面です。



右側の壁面です。



入口横の壁面です。

以上の17点で瀬古徹展は構成されています。
作品のマテリアルはすべて「Wood and tempera」です。
作品の詳細をご覧下さい。
正面から撮影の作品画像です。

 


左壁面の作品です。
左からタイトル<a board no.274>で、サイズ8.0×5.4×1.6cm、
<a board no.281>で7.5×5.9×1.7cm、
<a board no.283>で6.0×5.5×1.9cm、
<a board no.273>で6.2×5.5×1.3cm、
<a board no.284>で5.2×4.8×1.9cmです。


正面壁面の作品です。
左から<a board no.275>で8.4×4.6×1.5cm、
<a board no.279>で6.8×6.0×1.7cm、
<a board no.280>で9.3×3.8×3.2cmです。



右壁面の作品です。
左から<a board no.269>で 9.0×5.7×1.5cm、
<a board no.270> で8.5×5.5×2.0cm、
<a board no.278> で6.2×5.9×2.2cm、
<a board no.272>で7.8×6.0×1.7cm、
<a board no.282> で8.5×5.5×1.9cm、
<a board no.277> で11.5×3.5×2.3cmです。


入口横壁面の作品です。
左から<a board no.276> で6.0×5.5×1.9 cm、
<a board no.271> で6.7×5.6×2.0cm、
<a board no.285> で 5.6×4.2×1.6 cmです。

続いて横から撮影した作品画像をご覧下さい。
作品はランダムに選びました。

 

<作家コメント>

瀬古 徹 展 −祠は何処へ行った–
SEKO Toru exhibition : Where is the shrine?

□私の創作コンセプト
「周辺に影響を与え、周辺に影響を受ける作品を制作すること」
□私の作品のテーマ
「そこに、ただ『示す』ということ」
□私の作品のモチーフ
「板、木片、傷、汚れ」

1) 「ちょこんと」
カンヴァスという矩形の中で表現することが出来なくなってから、どれくらいの年月が経っただろうか。
よくよく考えてみると、美術作家として活動を始めた時点で矩形の フィールドとは訣別していた。
とにかく、そこには私のやるべきことは無かった。
片や、彫刻への限りない憧れ、そして渇望が私の創作活動の原動力であり続けている。
ここで言う私が愛して止まない彫刻とは、「ちょこんと」そこに在る空間の従属者のことであり、
モニュメントとは相見えないものである。
その「在り方(ありかた)」を現すのにちょうどいいのが、モチーフでもあり、直接の支持体でもあり、
空間におけるものとしての手掛りでもある「板(a board)」なのである。

2) そこのそれ
私の旅は、確かにあの物語から始まった。
これは確信を持って意味のない旅だ。

手掛かりは、不確かで実体のない約束ごとのようなまん中と、あまりにも常日頃な手触りの感触だけ。

だが、私はそのまん中に手を出すことが出来ない。
ずっと出来ないでいる。
力不足故か、いや、元々“そこにはそれがない”のか···。
どうしても意味の力学からこぼれてしまう敗北感と、開き直りに似た直観の間〈はざま)に居続けてしまう。

3) 祠は何処へ行った
捕まえられるものならば、捕まえてごらん。
それらはそう言った。

そうだ。ここには小さな祠(ほこら)があったはず。
以前本当に、見たんだ。

20231120 瀬古 徹

SEKO Toru exhibition : Where is the shrine?

My creative concept
To create works that influence and are influenced by their surroundings.
Theme of my work
The theme of my work is "to just 'show' there.
Motif of my work
A board, a piece of wood, a scratch, a stain

1) "Chokonto
I wonder how many years have passed since I could no longer express myself
within the rectangle of a canvas. When I think about it, I parted from the
rectangular field when I started my career as an artist. Anyway, there was nothing
for me to do there.
On the other hand, my endless longing and craving for sculpture continues to be
the driving force of my creative activities. The sculpture I love here is a
subordinate of a space that exists "just a little bit" and does not look like a
monument.
A board, which is a motif, a direct support, and a cue as a thing in space, is just
right to express this "way of being.

2) There it is
My journey certainly began with that story. This is a journey that makes no sense
with certainty.
The only clues are the uncertain, insubstantial promises of the middle and the
all-too-common feeling of touch.
But I cannot touch the middle. I have been unable to do so for a long time. Is it
because of a lack of strength, or is it because "it is not there" in the first place? I
keep being caught between a sense of defeat, which inevitably slips out of the
dynamics of meaning, and an intuition that is akin to a reopening of the situation.

3) Where did the shrine go? ( Where is the shrine?)
If you can catch it, catch it.
That's what they said.
Yes, they said so. There must have been a small shrine here.
I really saw it before.
20231120 Toru Seko


齢(よわい)70を超えてまだまだ迷っている身として、一つの拠り所に祠(ほこら)があります。
町の辻にある、小さなお稲荷さんの祠。
そこを通ると、わたしは手を合わせて小額硬貨を賽銭箱に入れてお願いをします。
願い事はいつも違って、願い事の多さに自分でも呆れます。
でもそうすると、何かスッキリします。
テレビやパソコンのモニターを見るのと違って、祠と対面していると、どこか安心するからです。

瀬古さんの小さな絵画/彫刻は、祠に見えます。
ギャラリーという空間の辻にある小さな祠のようで、ヒッソリと佇んでいます。
祠は町角に建っているので、その木造は陽に焼け雨に打たれて汚れています。
そんな風情が瀬古作品にもあり、何処となく神妙な気分になることがあります。
思えば西洋美術の源にはキリスト教がありますが、日本では神道や仏教がそれにあたります。
西洋美術は唯一無二の信仰や自己表現が基になっていて、曖昧さを許しません。
ところが日本は曖昧だらけで、神仏が一緒になったりします。
失礼を承知で言えば、瀬古作品も曖昧です。
絵画なのか彫刻なのか分からないし、環境と一体になっているので主体が曖昧模糊です。

でもね、それが良いんですよね。
過剰な自己主張も押しつけがましさもありません。
いつからそこにあるのか分からないような古びた木片には、絵具の汚れが美しくついています。
側面から見ると、木片は二段になっていて、台座のような後ろは灰色に塗られています。
この重なりは作品によって色合いと厚みが違います。
これは瀬古さん流の形式になっていて、その意図は歴史と関係があるような気がします。
絵画の歴史であり、彫刻の歴史であり、瀬古さん自身の歴史かもしれません。
何れにしても、これは関係の美術のように思えます。
主体、客体ではなく、その間にある関係が作る空間の美術です。
それは曖昧であって、その曖昧さが気持ちを鎮め、身体から無用な力を消してくれます。

いつものように勝手な感想ですが、多様な解釈が可能な展示です。
いつもより少し長くギャラリーに居ていただければ、きっと何かが響いてくる思います。

ご高覧よろしくお願い致します。

作品リスト

2003年藍画廊個展
2009年藍画廊個展
2010年藍画廊個展
2011年藍画廊個展
2012年藍画廊個展
2013
iGallery DC個展

2014年藍画廊個展
2015年藍画廊個展
2016年藍画廊個展
2017年藍画廊個展
2018年藍画廊個展
2019年藍画廊個展
2020年藍画廊個展
2021年藍画廊個展
2022年藍画廊個展

会期

2023年11月20
日(月)ー11月25日(土)
11:30ー19:00(最終日18:00)

会場案内