藍 画 廊

立原真理子展
‒ すきまとおく/広縁 ‒
TACHIHARA Mariko


立原真理子展の展示風景です。



各壁面の展示をご覧下さい。



画廊入口から見て、左側の壁面です。



正面の壁面です。



右側の壁面です。



入口横の壁面です。

以上の6点が展示室の展示で、その他小展示室に1点とドローイング集、事務室壁面に2点の展示があります。
作品の詳細をご覧下さい。



左壁面の作品です。
タイトル「すきまとおく」(刺繍糸、蚊帳、木枠)で、サイズ384×458×22mmです。



正面壁面左の作品です。
「旅館の庭」(透明粘土、蚊帳、木枠)で、180×180×20mmです。



正面壁面右の作品です。
「向こう岸」(透明粘土、蚊帳、木枠)で、274×455×20mmです。



正面壁面中央のインスタレーション作品です。
「すきまとおく/広縁」(刺繍糸、障子、その他)で、サイズ可変です。



右壁面の作品です。
「ひろえん」(刺繍糸、蚊帳、木枠)で、502×655×22mmです。



入口横壁面の作品です。
「くさまくら/伊香保」(刺繍糸、蚊帳、木枠)で、805×531×27mmです。


〈作家コメント〉
「客室に続くこの橋はこの世とあの世の架け橋です。旅とは非日常なのですよ」
ある旅館の主人の言葉を道連れに、うなぎの寝床のような廊下を奥に進む。
客室にはいり、お茶をのみ銘菓を横目に、みたものや奥性について考える。
感覚のひだのようなものが、目の前の広縁と呼応して、その客室は無辺となる。

画廊に入ると、奥に障子とテーブルと椅子が。
これは何?

お答えしましょう、これは旅館やホテルの広縁と呼ばれるスペースです。
日本の家屋には縁側と呼ばれる板敷きの間があります。
縁側には濡縁とくれ縁があって、昔の日本の家に当たり前のようにあった外側軒下の縁側が濡れ縁です。
くれ縁は雨戸や窓の内側につくられた縁側のことで、ここにテーブルや椅子を置いてくつろぎ、お茶を飲んだり庭を眺めたりします。
幅が広いので広縁と言われています。
(広縁の椅子で風呂上がりのビールを飲んだ方も多いと思います。)

日本家屋は洋式のようにキッチリと部屋を区切らず、襖や障子で間仕切りをします。
融通無碍な形式で、良い意味での「曖昧さ」が特徴です。
大広間になったり、寝室になったり、ダイニングにもなればリビングにもなります。
そんな日本家屋は広縁という室内でありながら外界と繋がっているスペースがあります。
障子がその向こうの人や景色が見えるようで見えない「曖昧さ」を有するように、広縁にも室内でもあり外界でもある「曖昧さ」の構造があります。

さてさて、今回の展示、障子と広縁(テーブル、椅子)と外界(庭)が重なって表現されています。
蚊帳でレイヤー(層)を作って刺繍する立原さん独自の手法で、その重なりを見事に視覚化しています。
よく見ていると、障子にも工夫が凝らされていて、多彩な刺繍糸が木に刺繍したかのように巻かれています。
日本家屋は欄間、屏風、襖などでも空間を区切りますが、それらは工芸と呼ばれます。
立原さんも刺繍(工芸)という技術でその構造にアプローチしています。

縁側は室内と外界を繋ぐ、開かれた場所です。
広縁は人と自然(庭)の出会いを演出する「曖昧」な場所になっています。
縁側の廊下を橋と見立て、あの世とこの世を繋いでいるのも同じです。
これは日本人の自然観、世界観を表していて、それが日本家屋の基本構造にもなっています。
西洋などの一神教の世界ではこの「曖昧さ」は絶対にありません。
なぜなら創造主(神)がすべて計算して世界を創ったからです。
ですから、この「曖昧さ」はアニミズム、八百万(やおよろず)の多神教の在り方です。

立原さんは網戸や蚊帳に刺繍を施してインスタレーション作品を制作してきました。
網戸や蚊帳も空間を区切りますが、その存在や区切り方は「曖昧」です。
今回は障子にも刺繍していますが、障子も同様です。
空間の区切りが可変で、時によって開いたり閉じたりします。
そして壁のように完全に閉ざすのではなく、いつも「曖昧」に開いています。
そこに着目して、日本人の「好い加減」な精神を作品に昇華しているのは流石です。
ともあれ、日常から掬い上げた奥の深い表現を楽しんでいただければ幸いです。

ご高覧よろしくお願い致します。

作品リスト

2013年藍画廊個展
2014年藍画廊個展
2017年iGallery DC二人展
2020年藍画廊個展
2021年iGallery DC個展



会期


2023年4月3
日(月)ー4月8日(土)
11:30ー19:00(最終日18:00迄)

会場案内