藍 画 廊

市川治之展
「錆びる人-III」
ICHIKAWA Halyuki


市川治之展の展示風景です。



各壁面の展示をご覧下さい。



画廊入口から見て、左側の壁面です。



正面の壁面です。



右側の壁面です。



入口横の壁面です。

以上の24点が展示室の展示で、その他小展示室に6点の展示があります。
作品の詳細をご覧下さい。

 


左壁面、左側の4点です。
左から、タイトル「錆びる人III-1 」(鉄、木)、「錆びる人III-2 」(鉄、木)、「錆びる人III-3 」(鉄、木)、「錆びる人III-4 」(鉄、木)、サイズはすべて170×50×60mmです。

 


左壁面、右側の4点です。
左から、タイトル「錆びる人III-5 」(鉄、木)、「錆びる人III-6 」(鉄、木)、「錆びる人III-7 」(鉄、スポンジ)、「錆びる人III-8 」(鉄、木)、サイズはすべて170×50×60mmです。

 


正面壁面、の作品です。
左から、タイトル「錆びる人III-9 」(鉄、木)、「錆びる人III-10 」(鉄、木)、「錆びる人III-11 」(鉄、木)、「錆びる人III-12 」(鉄、木)、「錆びる人III-13 」(鉄、木)、サイズはすべて170×50×60mmです。


右壁面、左側の4点です。
左から、タイトル「錆びる人III-14 」(鉄、木)、「錆びる人III-15 」(鉄、木)、「錆びる人III-16 」(鉄、木)、「錆びる人III-17 」(鉄、木)、サイズはすべて170×50×60mmです。


右壁面、右側の3点です。
左から、タイトル「錆びる人III-18 」(鉄、木)、サイズは120×40×55mm、「錆びる人III-19 」(鉄、木)、「錆びる人III-20 」(鉄、木)、サイズは170×50×60mmです。

 


入口横壁面の作品です。
左から「錆びる人III-baku 」(鉄)で275×110×120mm、「錆びる人III-nani」(鉄、木)で330×110×140mm、「錆びる人III-head」(鉄、木)で330×250×75mm、「錆びる人III-moyatto」(鉄)で310×140×75mmです。

 

〈作家コメント〉
 「フィジカルの錆」と「感性の光沢」とは反比例する事を実感する度に時間だけは淡々と進んでいるリアル。
TVが伝える大国の不条理。
マスクに頼らざるを得ない生きる術。
哀しすぎる。


市川さんの「錆びる人」シリーズも3回目になりました。
前回まであった階段が姿を消し、佇む錆びた人になりました。
上るのを止め、錆びた人は思考しています。

横一列にグルリとギャラリーの壁を一周する展示。
スッキリとしていて、見やすく美しい展示です。
シンプルに、壁の白さと錆の茶が際立っています。
しかし錆びる人は苦悩しているようです。
頭部は白い箱やクルクル巻きの針金で覆われ、幾分俯き加減です。
コメントにあるように、肉体の錆に精神が追いつかないのでしょうか。

世界史の中で、歴史の曲がり角と言われる時代があります。
宗教革命や産業革命、あるいはロシア革命などの革命の時代。
それほどの激動はなくても、今は歴史が変わる時期かもしれません。
それに直面して、方向性を失い、立ち止まって考え込んでいる。
それが錆びる人の現状、なのでしょうか?

錆びる人は鉄で出来ています。
鉄は石から生まれます。
つまり、錆びる人は地球の産物なのです。
ところがいつの間にやら、鉄は人間が作った力の象徴のように思われました。
わたしたちの生きる近代が鉄とガラスの時代に例えられるように。
あたかも、不老不死の存在のように。

錆びる人は自身の出自と観念の飛翔に悩んでいるのかもしれません。
鉄は錆びて朽ち、土に還る。
その単純な理屈が受け入れられない人(人類)を象徴しているかのようです。
わたしの感想、夢想が正しいかどうか分かりませんが、今回の錆びる人は考えさせる人でもありました。
さて、錆びる人は何処へ行くのでしょうか。

ご高覧よろしくお願い致します。

プライスリスト1
プライスリスト2

2001年藍画廊個展
2004年藍画廊個展
2007年市川治之+橋本伸也展
2009年藍画廊個展
2011年藍画廊個展
2012年iGallery DC個展
2015年藍画廊個展
2017年藍画廊個展
2018年藍画廊個展
2018年iGallery DC個展
2021年藍画廊個展

会期

2022年10月31
日(月)ー11月5日(土)
11:30ー19:00(最終日18:00)

会場案内